沖縄市議会 2022-12-19 12月19日-05号
基地の門前町として発展してまいりました沖縄市は、戦後の米軍統治下の沖縄の歴史が残っているまちでございます。戦後沖縄を体験できる機会として、これまでも修学旅行生の受け入れを行ってきた経緯もございます。平和歴史学習の観点から、嘉手納基地内を周回するツアーにつきましては有効な手段であると考えております。
基地の門前町として発展してまいりました沖縄市は、戦後の米軍統治下の沖縄の歴史が残っているまちでございます。戦後沖縄を体験できる機会として、これまでも修学旅行生の受け入れを行ってきた経緯もございます。平和歴史学習の観点から、嘉手納基地内を周回するツアーにつきましては有効な手段であると考えております。
尚巴志王系統の北山監守、今帰仁按司で数代山北城に駐在し、山北諸島を統治していたそうです。時代の流れで瀬底島に渡り、瀬底島の草分けになったと門中の由来記にあります。現在は島の祭事、神事で「大主ヘイ」祭事を司る役目です。18代当主大城善雄が去年93歳で亡くなりましたが、沖縄でただ一人の「むんじゅる笠」を作る作り手でした。
さきの大戦で敗戦した日本は、独立と引換えに沖縄を切り捨て米軍の統治下に置きました。27年間、年金制度や国民皆保険等、様々な制度から取り残されていた琉球の民は復帰で沖縄県民になり本土並みが目標でした。通貨が変わり少しずつ生活も変わり、当時高校生だった私は、これで米軍基地がなくなり平和な沖縄になると思っていました。しかし、50年たっても相変わらず米軍基地は居座り続け、事件、事故は絶えません。
日本本土が戦後復興から高度経済成長を進める中、沖縄は27年間の米軍統治下を経て、島ぐるみ闘争により本土復帰を果たし50年がたつが、現在の沖縄県の現状は屋良建議書で示された「基地のない平和な島」の実現には程遠い現状が新たな建議書でも報告されている。 2022年2月24日にロシア軍によるウクライナ侵略が始まってから4か月が経過した。
第1次から第3次まで米軍統治下の27年間、沖縄があったものですから、そのインフラ整備、そして第4次は自立に向けての基盤の整備、そして第5次から一括交付金を含めた自立に向けての沖縄県をつくっていく、それが一括交付金だったと思っております。
その後、第二次世界大戦敗戦後、米軍統治下を経て、1972年5月15日に本土復帰を果たしております。このように沖縄は中国や日本、そしてアメリカなど、絶えず外部の干渉を受けて世変わりしてきた歴史があると認識しております。過去の歴史につきましては、様々な意見はあると理解しておりますけれども、村民が将来にわたっても宜野座村を誇れるような持続可能な村づくりに取り組むことが私の役割だと考えております。
沖縄は過去の大戦後27年もの間、米軍統治下にあり、沖縄の日本国復帰は沖縄県民の悲願でありました。 国連勧告につきましては、第190回衆議院内閣委員会において議論されております。政府側の答弁によりますと、沖縄に住んでいる人々は長い歴史の中で、特色豊かな文化、伝統が受け継がれていると認識しておりますが、政府として先住民族として認識している人々は、アイヌの人々以外には存在いたしませんとあります。
これでは「議会統治性に入ったら?」と、こんなふうに批判されても仕方がないと思います。行政機関としての機能を議会が支配しようとしているように見えてなりません。 私は、競技者が困るという発言については、大変違和感があります。私たちは大分前から関係者と意見交換もしてきました。最近も会いました。そして、与根のサッカー専用施設を残すことについては、私たちは全く考えていないと。
それの反対にあるのが統治でございます。これが国土、人民を支配することと書かれております。統治はですね、掌握とニアと私は読むんですけれども、それならばですね、私たちが自治をやるに当たっては掌握ではないということで、ご理解いただけてよかったなと思っております。 続きまして11号、誰一人として取り残さない社会の実現に向けた福祉の充実についてというところでございます。
また、その件というのは、先ほど人権の話までありましたが、戦争中、戦前からあるかとは思いますけれども、そういう歴史の中で、沖縄においては米軍統治下の時代など様々経ているんですが、この米軍統治下の時代を含めて様々な権利というものがなかなか認められない、そういう状況がずっと続いてきた。
国民の苦しみには目を│ │ │ │ │ 向けない菅首相への見解を問う │ │ │ │ │(3) 菅首相が官房長官当時の2015年の国との協│ │ │ │ │ 議で、当時の翁長雄志知事は、沖縄戦での悲│ │ │ │ │ 惨な体験と戦後27年間に及ぶ米軍統治を強い│ │ │ │
私たちは米軍統治時代に強いられてきても、日本復帰をすれば良くなる期待があった。ところが私たちは、日本復帰をした途端に、復帰前は全く想像もしなかった状況が持ち上がった、それはいま砂辺の現状は、だんだん人口が少なくなってきて、そういうことが想定もされなかったということで、そしてその地域の住民意識、習慣を全く念頭に置かなかった、中央政府の失敗が出たのではないかと思う。私たちは移住性の民族ではありません。
沖縄のほうは、まだアメリカの統治の時代にありまして、高等弁務官制度というのがしかれまして、第三代のキャラウェイ高等弁務官が君臨していた時代です。その中で、ミサイルの発射基地を見たのですが、建物は相当頑強で、あれから60年ほどたとうとしているのですが、中のセメントはひび割れもほとんどなく、相当頑丈に造られていたというのを記憶しています。
愛楽園が開園してからも沖縄戦や米軍統治下など、沖縄の療養所特有の非常に厳しい状況の中で、自分たちの暮らしを少しでもよりよいものにしようとしてきました。1989年に刊行した療養50年史「命ひたすら」は、そのことを克明に記録しています。本書は「命ひたすら」以降の30年間を記録するものと位置付け編さんを進めてきました。
(3)2015年に当時の翁長雄志県知事は、菅首相が官房長官時代の国と沖縄県との協議で、沖縄戦での悲惨な体験と戦後27年間に及ぶ米軍統治を強いられた沖縄の苦難の歴史に言及しています。翁長知事は、「今日まで沖縄県が自ら基地を提供したことはない。全て強制接収されたものだ。自ら奪っておいて、『おまえたち、代替案を持っているのか』、こういった話がされること自体が日本の国の政治の堕落ではないか。
27年間、アメリカの統治下にあったわけですから、少なくとも3次振計までは面倒見ようということだったんですが、これが次、4次、5次まで行きました。4次振興からは町が独自で沖振法をつくって沖縄県の意向をそのまま国は採用するという形になっておりますので、町長が今おっしゃったように、しっかり推進協議会、またサンライズ協議会や町としても実のあるものにしていただきたいなと思っております。
おかげさまで復帰前のアメリカ統治下の議会の会議録はホームページにアップされておりますので、当局の皆さんもぜひ御利用していただければと思うのですけれども、これを読んでいますと、本当に心が痛くなりました。 と言いますのも、この縮小そのものは、当局としても致し方ないというか、仕方がなくやらざるを得ない。
理由、日本政府に対し「国家安全法」採択により香港に対する統治を強める中国政府に明確な抗議を求めるため。 中国は、5月22日に開幕した全国人民代表会議(全人代)で、中国本土で施行されている政府に対する国家分裂や政権転覆、外国勢力の介入などを禁じる「国家安全法」を香港特別行政区政府に介させず導入する案を採択した。
コザ十字路の歴史絵巻の壁画作成は、国道330号の拡幅工事に伴い、大きくあらわれた壁により、景観が損なわれることから、地域住民等とワークショップを重ね、本市の歴史とアイデンティティーをテーマに越来グスク時代から戦後米軍統治下の時代などを経て、現在のコザ十字路の商店街へと移り変わるまでを描いたものとなっております。 ○小浜守勝議長 高江洲義八議員。 ◆高江洲義八議員 答弁ありがとうございました。
これを認めているのでしょうかとか、また宜野湾市政は米軍の統治下にあるのですか。市の抗議、市議会の抗議が新聞やマスコミに全然出てこないけれども、黙認しているのですかといった声が挙げられています。この後聞いていくのですが、市長は米軍だったり防衛局に対して抗議、要請したというのは新聞報道で把握はしていますが、市議会としてもこういった状況を踏まえて何かしらの行動をとっていきたいと考えているところです。